【読書感想文】『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』①

バス

※最後にプロモーションを含みます

こんにちは、ひやむぎです。

この記事で触れた通り、今僕は写真の勉強をしています。少しずつ。カメラを持ってバス以外のものを撮りに外出することも増えたし、動画や書籍でもインプットを増やすようにしています。

そんな中、たまたま見たネットニュースに出てきた書籍紹介の記事。タイトルを見た瞬間にドキッとしました。

『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』

そういえば考えたことない気がする。

僕はよくバスを撮ります。X(旧Twitter)なんかでよく写真を見ます。自分でも投稿をします。その中で「この写真きれいだなぁ」とか「こんな風に撮れたらいいなぁ」とかって考えることはよくあります。

フォロワーの皆様にも同じ経験がきっとあるはず。

だけどなぜキレイと感じたのか、なぜ憧れたのかってあんまり考えないことが多くないでしょうか?

うまい写真とは?いい写真とは?そしてその二つを反映したうえでバスの写真に置き換えた場合どうなる?

気になり始めるととことん気になってしまう性格なので、これは本を買って読むしかありません。

ようし!これも勉強だ買ってしまおうと半ば勢いで買ってしまったんですが、先述のいい写真・うまい写真はもちろんのこと、そもそもの写真への向き合い方、被写体へのエチケットなどなどとても大切なことがたくさん書いてある本なので、今後数回の記事で一部抜粋にてシェアさせていただきます!

この本の著者である播野広志さんは写真家で、18歳で始めた趣味のカメラがきっかけで21歳の時に写真の専門学校に進みます。同時に撮影スタジオでアシスタントのアルバイトをしますが、「専門学校で習うことなんて1つも使わないじゃないか」とあっさり中退してしまったそうです。

そしてある広告写真家の弟子になり、27歳で個展を開き独立。そこからは写真の仕事をしつつライターとしても活躍され、気仙沼漁師カレンダーで経済産業大臣賞とドイツのグレゴール・カレンダー・アワード2021で銅賞を受賞します。

100人の定員だった初心者向けの写真ワークショップがたったの2分で完売するほど人気な写真家さん、それが播野広志さん。

そんなすごい写真家さんが書く本ですが、柔らかく話しかけるような、そして時に独白のような文体で書かれているのでとても読みやすく、内容がすっと腹に落ちます。

今回は本の第一章の内容から「いい写真とうまい写真」について僕なりに思ったことを書いていこうと思います。

うまい写真は誰にでも撮れる!

上手さというのは技術と知識だと思う。マグロを包丁で切って刺身にする技術や、マグロのさくに塩をふると浸透圧で水分が抜けて刺身が美味しくなるみたいな知識だ。包丁を研ぐ技術や塩の知識みたいな付随したものである。

播野 広志,うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真,ポプラ社, 2023年, p.36

うまい写真とは。播野さん的な定義は引用の通りで、技術と知識。シャッタースピードが速いほど一瞬を切り取れるとか、F値が小さいほどスポットでピントが合うからボケ感が強く出るとか。

もっと根本のところを言えば、Sモードでシャッタースピードが調節で来て、Aモードで絞り値を調節できるよ、くらいのところ。あとはそれがメーカー次第で呼び方違うよとか。

バス界隈で言えば、SSが1/125くらいなら方向幕がきれいに撮れるとかそんなところでしょうか。一眼レフを買ってすぐのひやむぎがぶち当たった壁、それが方向幕キレッキレ問題だったんですが、ツイートするとすぐにフォロワーの皆様に教えていただきました。

Aモードでバスを撮るとSSの調節が効かないためこんな方向幕に。

そういった、誰かに聞いたりGoogleなんかで調べたりして得られることの多くが、うまい写真を撮るために必要なこと。なくても写真は撮れるけれどあったほうが断然いいもの。RPGゲームで出てくるアイテムやレベル的存在です。

写真の技術と知識は理科的なもので正解がある。時間をかけて適切に勉強すれば誰だってある程度はうまくなる。だけどそもそものうまいの価値観を間違うとダメなのだ。

播野 広志,うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真,ポプラ社, 2023年, p.36

これが著者播野さん的「うまい写真」の定義です。

いい写真も誰にでも撮れる、けど…

うまい写真が知識と技術なら、いい写真とは何なのか。その説明として播野さんは、写真以外のものを例として挙げています。それが「さしみ食わせろ」と乱雑に書かれた書道の作品。

バランスも悪くて、半紙の右側にさしみと平仮名で3文字。左側の上半分に「食」がでかでかと書いてあって、残りのスペースに無理やり「わせろ」と書かれている。ろの字なんてもはやオマケみたいにちっちゃくなっています。

これを例えば小学5年生の習字の時間の最後に提出したら、担任の先生にやり直しと言われること間違いなしの作品です。書いた筆の持ち主には申し訳ないけれど、小5の僕と同じくらい字が下手。通知表にはきっとがんばろうの欄に〇があったはず。

ちなみにその作品、書いたのは10歳の少年だったそうです。そして彼の享年も10歳。

病気の治療中に生ものが食べられなかったこと、お刺身とお寿司が大好きだったこと、習字の時に病室で思いついてこの言葉を書いたこと、そして天国で彼が好きなだけそれらを食べていてほしいということが、お母さんのつけた説明文に書かれています。

さしみ食わせろ」だけじゃ伝わらない。お母さんの説明文がないと成立しない。少年の書いた字とお母さんの説明文の二つが揃って初めて背景が見る人に伝わる。そんな作品を播野さんはいい作品だとしています。

いい作品というのは、見た人に感情が伝わるものだとぼくは思います。だから僕がたどり着いたいい写真の答えは、伝わる写真です。

播野 広志,うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真,ポプラ社, 2023年, p.27

美術館の絵画は説明文がないとあまり伝わりません。素人には。僕もよくわからん。

写真もそれと同じで、撮り手がどこに何を感じたかがないと伝わらない。もちろん撮った本人はその時に思ったことを知っているからいい。だけどそれを見る人は「どこに感情移入したらええんや…?」と置いてけぼりにされやすい。

ツイートなり、ブログなりで画像を上げるとき、何か写真について一言でも添えることで伝わる写真になって、それに共感する人が多いほどそれはいい写真になるんだと思います。

はい、ここからバスの話。

僕の好きな〇も9802の写真があります。これをどこかに投稿するとします。無言で写真だけ、または「9802撮ったよ」とだけ書いて上げるのがいつものひやむぎですが、それじゃせいぜい「うまい写真」の域を出ない。リアに他の車がかぶってるからそもそもうまい写真でもない気がするけれどそこは一旦置いておきます。

じゃあ僕はなぜわざわざ9802にカメラを向けたのか。

希少な中型ロングの車両だから。

他のバスより小さいサイズ感が可愛くて好きだから。

兄弟車の9801はよく見るのに9802に出会ったのは久々だったから。

何かしら理由があって撮ったのなら、その理由を書いてあげる。

日の丸構図のこの写真は何を思ったんでしょうね。確か撮ったのは6月の蒸し暑い日。脇山小学校とか早良高校とかそこらへんの田んぼの間を縫うように走る赤バス。

緑の中にぱっと目を惹くバスという構図が妙に気に入ったのでこの写真を撮ったんです。

今度は動画のスクショなんですが、やっぱり運転士さんの手さばきを見るのが大好きなのは以前の投稿でも散々書いた通りです。

かっこよくて、大好きで、いつもついオタ席を陣取って見てしまう。だから撮った。しかもね、軍手じゃなくてドライバー手袋なんですよ。こんな完璧なの、撮るなというほうが無理です。

 

今回は昔の写真でそれっぽいことをしたから若干無理がある表現になりましたが、つまり「自分はここに感動したんだよ」と言えることが第一歩。

そしてその「感動」の解像度を上げたり、背景にあるストーリーで肉付けしたりするとよりいい写真につながるんじゃないかと思います。

ちょっと脱線しますが…「写真とストーリーの話」

以前どこかのツイートか何かで見た話しに「いつの間にか知らん人に撮られた写真に妙なストーリーを付けられたものが写真展でいい賞を取っていた」というものがありました。

若い女性と車いすに乗ったおじいちゃんの後ろ姿が花畑を背景に写され、「おじいちゃんとの最後の思い出」的なニュアンスのタイトルが付けられていたそうです。

たまたまその二人が写真展に来て「あれ…これ私たちじゃない?ねぇおじいちゃん?」となったらしく「後ろ姿とはいえ勝手に人の写真を撮って、そのうえ勝手にじいちゃんを死んだことにするるとはなにごとか!!」とたいそうお怒りでした。

そりゃあそうですよね。伝わるいい写真とたくさんの人に選ばれたからこその受賞ですが、嘘を伝える写真ならそれは…。

まとめ!うまい写真はいい写真を撮るためのステップ

うまい写真がいろんな技術、知識を駆使して撮る写真、いい写真が誰かの感動や感情を伝える写真だとするならば、うまくていい写真とは体得した技術や会得した知識を用いて撮影した、感動の伝わる写真ということになるのではないでしょうか。

技術や知識はRPGゲームで言うところのアイテムとレベル的存在だと書きました。

Lv.5のヒトカゲを連れてマサラタウンにさよならバイバイした時にはできなかったことも、レベルアップすればリザードンになって四天王だって倒せるように。

ニョロボンのれいとうビームで氷漬けになったリザードンを徹夜で看病したら、それまでの態度を改めてサトシの言うことを聞くようになったり。

そりゃあ途中には「弱いリザードンなんていらない」と突き放したサトシよろしく、いい写真が撮れないカメラなんていらないと思う日が来るかもしれませんが。まああれ千尋の谷に落とされた獅子の子みたいにもっと強くになれって意味だから、決してリザードンを見限って切り捨てたわけではないのだが…。

(初代アニポケ見てないと絶対伝わらんな、この例え。しょうがないじゃん、最近のアニメわからんもん…。)

うまい写真を目指す過程で技術を会得したり、そして「これをこういう風に伝えたい!」と思った時にその技術を活かすことで、いい写真を撮れるようになるのではないでしょうか。

ただ、「いい写真」の定義や基準なんて人それぞれで、撮り手が好きな写真も見る人が変わればなんでもないただの写真になると思うんです。バスなんてまさにそうじゃないですか。バスオタ界隈では盛り上がる写真も、他の人からすれば全部同じバスにしか見えませんから。

じゃあ、あなたにとって「いい写真」って?

これを考える必要があると思うんです。きっと自分の中で言語化しようとすると難しいけれど、結構簡単に見つけられます。

自分のSDカードなり、PCのフォルダなり、Google photoのようなストレージなりを開いて自分の撮った写真を一覧表示します。

きっといろんなアングルで撮った写真が出てくるから、その中から「なんだか惹かれる」という写真を数枚ピックアップ。

書きながら僕もやってみましたので、画像を列挙しますね。

王道構図。バス全体にピントが合って好き。だけど個人的には物足りない…。
昭和通りを西向きに走るバスは夕日と順光になりとてもきれい。
渡辺通駅のガラスとの反射。パラレルワールドに行けそう。
時にはぐっと近づいてみるのも楽しいです。バスを撮りつつ背景を際立たせるのも楽しいですよ。
花を撮りつつバスを撮る。季節感が出せていいです。
ヘッドライト部は夜撮りが映えますよね。ウインカーまで撮れたら大満足!
どんな車両でも、運転士さんはカッコいい。
昭和バスを撮るなら周囲の風景と一緒に撮りたい。塗色と木々の緑がきれいです。

8枚ほど例を挙げてみました。これけっこうおもしろくって、誰かと一緒にやってみるともっと楽しいかもしれません。人によって全く好みが分かれるでしょうから。

僕が選ぶのと禊が選ぶのもきっと全然違うと思います。

この8枚、ほんとにパラパラとフォルダを見返しただけでチョイスしたんですが、やっぱり傾向はある程度出ている気がします。僕の写真、バス単体の写真って思いのほか少ないんですよ。

いや撮ってはいますよ、もちろん。ただ惹かれる写真っていうところを意識するとバス単体よりも周囲の風景なんかと絡めた写真が多い。自然だったり反射だったり。あとヘッドライトにぐぐっと寄った写真も多かったです。

その辺に関してはだいぶ前の記事にも書いていましたね。

僕が単に車体が好きなんであれば、博多バスターミナルで撮ったり貸切会で撮ったりする、アングルの中にバスが1台写っている写真になると思うんですよ。

だけど実はあまりその構図で撮ったことなくて。それよりももっと日常感のある構図で撮りたい。生活の中に溶け込んだバスを写真にしたいんです。決まったダイヤの中で動くバスと、その周りで起こる偶然を1枚に収める。

山陽新幹線開業40周年記念のTVCMでコピーとして採用された「あしたセレンディピティ」を覚えている人はどれくらいいるでしょうか。

素敵な偶然や予想外のものを発見する新しい旅への期待を込めて打ち出されたコピーです。このserendipityは「偶然の発見、出会い」という意味がある英単語です。覚えていてもあんまりテストには出ない英単語、塾の英語専属講師としてバイトしてた頃にも教えた記憶がないレベルです。

言ってしまえば僕のバス撮りはバスを取り巻くserendipity探し。街を走る中で、その場にいたからこそ撮れた偶然が僕にとってのいい写真です。

ではこれを読んでいただいているバスオタのみなさんにとってのいい写真とは?もしよければ教えてくださいね。

参考書籍紹介!

今回から播野広志さん著『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』について紹介しつつバス撮り観について書いていきます。

ここまで読んで気になった方、ぜひ読んでみてください。テクニックだけじゃなく写真を撮ることの意義や、撮り手として大切なことがたくさん書いてあります。

では今回はこの辺で!

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