ひやみその馴れ初め~後編~

日記

どれくらい眠っていたのだろうか。ブレーキが制御できない自車の中。慌ててブレーキペダルを踏む。その時、目が覚めた。嫌な夢だ。

ここは広島県高坂SA。ハンドルのブレが目立つようになってきたから仮眠をとったのだ。目的地まではあと424km。到着予想が30分ずれているということは、眠っていたのはそれくらいだったということか。

腐っても元営業マン。社用車で昼寝していたのを体が覚えていたのだろう。ぐっすりだった。行ける。もう走れる。相棒、頼む。

エンジン始動。寝起きだがクラッチワークに狂いはない。滑らかにシフトを上げ、時速100kmで中国自動車道に合流した。相手の乗るバスは今、どのあたりを走っているのだろう。高速バスと言ったのは巧妙なハッタリで、実はもう近くにいるのではないか。既に家の下で待ち構えているのではないか。膨らむ嫌な想像を、コーヒーで流し込んだ。

広島、岡山。ついに兵庫県に入ったのは午前3時頃。滝野社ICで高速を降り、空が白み始める4時30分、とうとう彼女との3日ぶりの再会を果たした。間に合った。無事だった。

待ち合わせは、つい3日前に通ったマクドナルドだった。「昨日の昼もマックやったのに…」と不貞腐れるひやむぎ。でも公衆の目のある場所での対峙なら、いざとなれば助けを求めることができる。4割も働いていない脳みそをなんとか回し、最悪の事態に備えなければならない。

というかなんだ、ヤツは受験生じゃないのか。阿呆にもほどがある。こちとら社会人。暇じゃないんだ。3連休がたまたま何も予定がなかっただけだ。本当なら…いや、いいんだ。今回は暇でよかったんだ。とりあえず燃料代と高速代の請求書でも突き付けてやろうか。高校生に。経理部なめんじゃねぇ。

とか思いつつ、彼女の話を聞いていた。強がりな彼女でもさすがに緊張が隠しきれていない。それもそうだ。初対面の相手にアポなしで押しかけ、家主の意思も問わずに家に上がり込み、挙句充電器とシャワーを貸せと宣う輩である。街でアンケートを取れば10人中8人が変態だと言う。残りの2人は本物の変態である。

背後に人影。何も注文せずに店内に入ってきて、不自然に立ち止まる。否が応でも緊張が走る。来た。

デカい。イメージと違う。もっとガリガリで牛乳ビンの底のような分厚い丸眼鏡をした角刈り男を想像していた。思ったよりもガタイがいい。大学に行けたらアメフト部か柔道部がひっきりなしにスカウトに来るに違いない。

🍔    🍟    🥤

彼の言うことは論理的であったが要するに「禊のしたいようにすればいい」ということだったように思う。他の意見なんて聞く耳も持たない様子だ。無論僕の意見には牙をむく猛獣のような、それでいてすべてを見通した冷酷なまなざしを向けた。

いっそ言ってやればよかったか。禊のすべては自分が引き受けると。

君のようなガキ風情よりも彼女の幸せを導けると。

相手の事情や気持ちも考えずに行動することがどれだけの人を巻き込み、どれほどに浅はかで、それでいて最も勝ち目のない行動かということを。

…いや、やめておこう。既に勝負はついている。悪いが受験勉強に集中するんだ、坊や。恋愛なんて、それからすればいいさ。

🚙    🚙    🚙

およそ1時間で、僕と禊はマクドナルドをあとにした。終わってしまえばなんだかあっけない。これから彼はガストに向かうようだ。なにせ夜の高速バスまでまだたっぷり時間があるのにスマホの充電は虫の息。それは心もとなかろうが、知ったことではない。充電が気になるなら伝書鳩でも飼えばいい。もとはと言えば君のせいでこの旅費がかかっているですからね。安月給でそんなことをさせられて、そのうえ充電の面倒まで見切れませんからね。

ほんで彼の姿はそれ以降見ず、ユニクロに行ってイオンにいって、夜ご飯買って夜中まで飲んで昼まで寝て。それをあと1回リピートしたらとうとう帰る日になった。明日は仕事だ。さすがに帰らなければ。

…おい。禊よ。起きるんだ。私は帰路につくぞ。

朝から雨が降っていた。カーテンは閉まっているが、外の音でなんとなくわかる。昨晩食べ残したつまみを朝食代わりに貪りつつ禊を起こす。が、昨晩のつまみに漬物石でも食ったのかと思うほどにびくともしない。なんだ。この「頑固さ果汁100%」とでも言いたげな背中は。そんなもの背中で語るんじゃない。明日の仕事、どうしてくれる。そうしてついに起こすことに成功した。しかしそこから押し問答が始まる。

「福岡に帰るよ」
「だめ」
「明日仕事だからさ」
「だめ」
「仕事でだめとは」
「…。zzz」
「起きろやぁぁぁ!」

これを3回繰り返したように記憶している。

「起きたらひやむぎさんが帰っちゃうもん」

唐突にそんなことを言い出した。そりゃそうだ。こちとら兵庫県民ではないから引っ越すにはそれ相応の手続きがいる。会社を辞める手はずもまったく整ってはいない。

「あいつも住所知ってるし、社宅なんてそんなにほいほい変えられないし」

不意にものごとの本質を突くようなことを言うのが禊である。そうだ。問題はそこではない。危険にさらされたままの彼女をこのまま置いて帰れるかが問題なのだ。

「福岡、来る?」

自分でも驚くような提案だった。わかってるか?自分。一人暮らしの終焉を告げる発言をしたぞ?いいのか?今日連れて帰ったって掃除すらしていないぐうたら部屋だ。女性が過ごす想定などないからいろいろと不自由だろう。あとそれなりにお金もかかるだろうし、それに今日の今日で辞められる会社なんてそうないんだ。まあダメもとだ。来月辺りに迎えに来るとしてだ…

「え?!いいの?!行く!!」

これは正直予想外だ。この一人暮らしにしては少ないがどう考えても我が相棒の腹の中には収まりきらない荷物を運べるわけが無い。

暮らしの知恵:佐川急便に持ち込む

滝野社はそれなりの物流ルートがある。なぜならインターが近いからだ。ということは当然物流企業が拠点を置いており、業界大手の佐川急便がいないわけがない。そうしてやはり、彼はそこにいた。

段ボール×3。福岡の自宅まで5,000円。ううん、企業努力。ドライバーさんありがとう。

それからはもう、いろいろにいろいろだった。リサイクルショップで売れるものは売って、車に詰め込んで、ガソリン満タンにして、ひやむぎの住処へ。気が付けば出発は16:30。6時間はかかる道のりで、休憩やご飯を考えるともっとかかるだろう。日付が変わる前につけば上出来だ。尾道ラーメンを食し、カキフライ定食を味わい、ついに関門海峡を越え23:56、自宅についた。

これがことの顛末である。急にロミオとジュリエットよろしく駆け落ちしたと思われたかもしれないし、度が過ぎたフッ軽かと思われたかもしれない。しかしこれが今まであまり公にしてこなかった真実である。

この後の生活についてはまた機会があれば語ろう。

読者諸賢においては、くれぐれもネット上の付き合い方を十分に思案したうえで、石橋を叩きすぎて壊すくらいの慎重さを持ち、それでも信頼するに足る人とのみ楽しい生活を送ってほしい。

間違っても、ネトスト被害に遭わぬよう遭わせぬよう、気を付けていただきたい。

今回うまくいったのは、たまたまである。

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