結婚式のスピーチ頼まれました。何話そうかな。その②

バス

こんにちは、ひやむぎです。

前回こちらを投稿したところ、友人の奥様からコメントをいただきました。ニヤニヤしながら読んでくれているそうです。そんなこと言われちゃったら調子に乗るのがひやむぎという人間。

こうなったら鬼に金棒、虎に翼、獅子に鰭。

奥さんが待っていてくれるんなら書くっきゃねえ!

そういえば前回からずっと「彼」だの「友人」だの言ってましたが、そろそろ名前で書きたいと思います。Hくんっていいます。字面が字面なのでせめて苗字か名前かにしてあげたかったんですが、苗字も名前もハ行から始まるもんだからどうしようもなかったんです。

少年Hみたいなもんってことにしておいてくださいませ。特に他意はありません。

ミンナデイッタ…

\千葉/ \滋賀/ \佐賀/

見出しだけでこれが脳内再生された方、おそらく同世代です。そんな僕らの修学旅行は千葉でも滋賀でも佐賀でもなく京都・奈良でした。キョナラです。

そしてHくんとも同じ班になりました。そして班長にされました。今でこそ「ひやむぎ=阿呆」というブランドイメージが確立され、大体のことには周りの人も呆れ顔で生ぬるく付き合ってくれます。だけど当時はそうじゃなかったんです。

髪は年中丸坊主、制服はそのまま写真撮って制服屋に持って行けばモデルにも使えるような完璧な着こなし、校則から逸れることはせずのThe マジメ。風紀検査で引っかかることなど1度もなく、終いには誰もがうらやむ風紀検査での顔パス特権を手にするほど。

その甲斐あってか2年生から生徒会長選挙の応援演説だったり、生徒総会の議長だったり、学級委員をやってくれと先生からお願いされたりと意図せず内申点をガッポガッポ荒稼ぎしておりました。まあそれは今回の話とは関係ないのだが。当時の僕はそんな感じでした。

そんな真面目一徹なひやむぎ少年率いる2年1組3班だったので、誰にも心配されることなく京都市内の自由行動に旅立ちました。しかし事件が起こります。

当時のひやむぎ、実はとんでもない方向音痴だったんです。タクシー運転手なんて仕事してるから、昔から方向感覚に狂いはなかったと思われるかもしれませんが、病的なほどに方向音痴でした。

部活の練習試合で他校に行って、ちょっと離れた場所にあるトイレに行こうもんなら無事戻れる確率は限りなく低かったほど。

そんなやつが班員7人を率いてトコトコ歩くわけですよ。京都の街を。しかもね、碁盤の目みたいになっていることは有名ですが、あれが余計に迷う原因になったんです。

どっちみても似たような交差点ばっかり。見ているうちにゲシュタルト崩壊的な心理に陥り、もはや何が何だかわからない。記憶はあるのに「ここはどこ、わたしはだれ」状態。

そうしていくうちに時間ばかりが流れ、大幅な予定変更を余儀なくされました。そして真っ先に削られたのが、僕が一番楽しみにしていた「梅小路蒸気機関車館(現 京都鉄道博物館)」でした。

いやぁ凹みましたよ。行きたかったもん。

そしてそれを残念がる男がもう一人。そう、Hくん。

おお、我が同志よ。一緒に不貞腐れようぞ。悪いのは道間違えた僕なんだけどそれは一旦棚に上げて。なんて思っていたんですが、こういう土壇場で謎のリーダーシップを発揮するのが劇場版ジャイアンとHくん。

みんなをまとめ、次の目的地までの行き方を考えてくれました。なんか、頼もしかったです。

あれから15年くらい経ったけど未だに京都鉄道博物館には行ってません。いつか行ってみたいなぁ。修学旅行の思い出とか話しながら、僕ら夫婦とHくん一家と。

パレスワールドと歌謡ショー

真面目一徹なひやむぎでしたが、遊ぶときは遊んでました。やはり中学生、まだまだ遊びたいお年頃です。

そしてちょっと背伸びした遊びも覚えるわけですよ。その最たる例がカラオケ。僕らの校区にはそんな最先端の遊び場はありませんでしたが、2つ隣の校区にはあったんです。

それがカラオケ パレスワールド

イマドキのジャンカラみたいなしっかりしたのじゃなく、JR貨物のコンテナをDIYして作りました!みたいな簡素な造り。なぜか各個室の入り口は北海道の民家のような二重ドア、そこで靴を脱いでスリッパに履き替える。電気を点けたくてスイッチを押すも照明は灯らず、代わりに換気扇が回り始める。

マイクとデンモクはフロントで受け取って、帰るときに返すシステムだったから、部屋の前を通る人たちがまかり間違ってマイクのスイッチを入れたまま通ったら僕らの部屋に知らん人たちの会話が織り込まれるオプション付き。

廊下から別の部屋に向かって楽曲情報を割り込み送信するといういたずらも横行しました。当たりの部屋を引ければデンモクがもらえたけど、部屋によっては電話帳みたいなやつを見ながらリモコン打ち込みでした。

そんな南区柳河内が誇る最先端カラオケボックス、パレスワールドに僕らも遊びに行っていたんです。

ひやむぎ少年、少年H、あれから15年経っても芽が出たのかわからない歌手志望のIくん、内弁慶なものの僕らの盛り上げ役Tくんで。

Iくん 「栄光の架橋/ゆず(2004年)」

Tくん「Ti Amo/EXILE(2008年)」

ひやむぎ「Lovin’ Life/FUNKY MONKEY BABYS(2007年)」

Hくん「チャンピオン/アリス(1978年)」

一人おっさん混ざっとらん?

Iくん「桜/コブクロ(2005年)」

Tくん「道/EXILE(2007年)」

ひやむぎ「Cry Baby/SEAMO(2007年)」

Hくん「精霊流し/さだまさし(1974年)」

さっきから一人だけお父さん見たいな年代の曲が出てきてるんよね。

そう、Hくんのカラオケのセンス、絶妙に渋いんです。

ただなんとなく癪なのが、歌はうまいんです。

あくまでも僕の感想だけど歌手になりたい彼よりも…(咳払い)

結婚式の余興で自らマイクを握り、歌ってくれるのを楽しみにしています。なんならうちの女将とデュエットさせましょか?笑

急に赤ちゃん連れてきた

中学3年生になり、僕は2組、Hくんは5組で別のクラスになりましたが仲は相変わらず。一緒に帰りながら話したりしてました。

三者面談の季節になったんです。進路を決めるための。その時期になると部活はもう引退した後だから基本的に放課後は帰るだけ、のはずだったんですが部活の無い放課後が楽しすぎてよく居残ってクラスメートとだらだらおしゃべりしてたんです。

するとどこからか赤ちゃんの泣き声が。しかも近づいてくる。近づいてきて僕の教室のドアが開いて、立っていたのはパパになったHくん。

中3で隠し子かとよからぬ妄想をしましたが、急にできた弟だったそうで。そしてそんなタイミングでの弟爆誕が嬉しかったんでしょうか、僕のクラスを出てったと思えばお隣の1組にもご挨拶させてました。

こうなるとちょっとした人気者です。

みんなの目線を独り占めです。

もちろん、弟が。

ちなみに別々の高校に進学したのであくまで人づてに聞いた話ですが、高校でもそんな感じで弟の挨拶行脚をしていたそうです。親ばかならぬ兄ばか。

そっか、この前赤ちゃん抱いとるのが妙にサマになってると思ったらそのせいか。納得です。昨日一緒にご飯食べに行ったんですよ。お子も連れて。抱き方がうまいのか、会ってからずーっと寝ているお子。

兄ばかから親ばかへ。きっといい父ちゃんになるんだろうなぁ。立派立派。

今回はこの辺で。次回は高校生時代をすっ飛ばして大学生・社会人編へと続きます。お楽しみに!

コメント

  1. チャラサングラスの嫁御 より:

    選曲のくだり、めちゃくちゃわかります(笑)

    お父さん通り越してお爺ちゃんですもんね…たしかに、昭和歌謡デュエット聴きたい…!!

    大学生編、社会人編…
    も楽しみにしております( ͡° ͜ʖ ͡°)

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