ひやみそ、インフルになりました

日記

前回こんな投稿を上げて、最後に「12月は平和に過ごしましょうね~」なんて書いたんですが、見事インフルエンザになりました。

事の発端は12月7日の夕方。その日僕は仕事でした。昼間は福岡国際マラソンの交通規制を避けるために車庫で担当車にワックスをかけて、昼休憩してからの出庫でSnowManのコンサートのフィーバータイムがありまして、時刻は16時頃でした。

仕事中には珍しい禊からのLINEがきまして。

LINEを見返した禊本人は「よくこれで何事かわかったね」って言ってましたが、さむくてあつくて40ってなれば体温のことだろうなってくらいは予測が付きます。

そんで空車のままちょっと考えていました。場所は薬院です。家からは少し遠い。しかし禊のこの文面、明らかにただ事じゃない。

ということで薬院大通を六本松方面へ右折、そこから城南線、六本松から国道202号へ、そして城南学園通りからあとはなんやかんや細い道を進みました。その間数回通話をかけてみたんですが禊からは応答なし。

なんだかあの時を思い出しますなぁ、禊と付き合うきっかけになったネトスト事件。

禊のピンチに駆けつけるのはこれで2回目です。まぁ、今回はあの時よりもはるかに近いし、とち狂った変態相手じゃないから幾分か気は楽ですが。

売上さえかなぐり捨てればある程度自由が効くのがこの仕事のありがたいところ。LINEから30分ちょっとで家に着くことができました。

ほんで家に到着。禊がドアチェーン掛けてたらどうしようかという唯一の心配もただの杞憂に終わり、問題なく家に入ることができました。

禊は目と頬っぺたを真っ赤にして寝ていました。息が荒くてきつそうで、熱を測ると39.8℃もありました。

「明日のみなかぜさんとのドライブ、延期かねぇ…」

そう、12月8日はフォロワーのみなかぜさんにドライブにお誘いをいただいてたんです。楽しみだったんですが、だからって熱があるのに連れていけません。あと僕もきっとうつってるでしょうから、このままドライブに出かければ車の中でのウイルスの巻き散らかしあい。ただの嫌がらせ、もはやバイオテロです。

この時期、この症状、熱の高さから判断されるのは十中八九インフルエンザ。その状態でのお出かけは確信犯でしかない。やむなし!

僕の乗務時間は夜中1時まで、帰宅はそのさらに1時間後です。それまでこの状態の禊を放って仕事ができるわけもなく半休を取って帰宅することにしました。

そこからはもうバタバタです。帰りのスーパーで友達に電話しつつ病気の時にあるといいものを買って帰りました。帰ってリンゴをすりおろして食べさせて寝かせて、その間に僕は風呂に入って、上がったら禊を風呂に入らせて寝ました。

翌朝、というか翌昼に起きました。熱を測れば38.5℃。少しだけ下がったものの、まだ解熱には程遠い体温です。

ということで、前日買ってきていたうどんを食べさせまして、いつも禊の喘息のことでお世話になっている病院の午後診療に連れて行きました。

この時まで、僕の体温はいつも通りの36.7℃とかその辺でした。

さてさて病院の待合室で待つことしばし、検査の順番がやってきました。インフル検査恒例、鼻に綿棒グリグリの刑です。

待つことしばし。

「奥様、陽性ですね~。ということで旦那さんも検査させていただきます~。」

グヌヌ…。やっぱりおれもやられんのかい。

「旦那様、結果は陰性ですが奥様がこれだけクッキリ陽性が出ていますのでみなし陽性ってことになります~。タミフル出しときますね~。」

ということで僕もインフルになりました。いや、実は僕も朝起きたら咳が出たりちょっと倦怠感があったりしてたんです。あと問診の時点で僕も発熱していました。37.7℃。そりゃあしょうがないですわ。

はい、これで夫婦仲良くインフル感染です。

療養生活の始まり始まり~。

その日の夜のこと。UberEatsでご飯を注文しました。とりあえず栄養価の一番高そうなものを。

でも半分くらいしか食べられなくて残りは翌朝に残しておきました。

そして夜になると僕もかなりきつくなって寝込みまして、逆に禊は少しだけ回復しました。

なんかこの辺までは、僕も体がきつかったのもあるしバタバタしていたのであんまり鮮明に事細かには覚えていないんです。あと大半寝てたし。

コロナの時同様に体調に波があったので、生きている方が家事をやっつけてその間にくたばっている方が休んでを繰り返していました。

そして12月9日、インフル療養3日目には僕もそこそこに回復しまして、熱も37.7℃が最高。咳が少し出る程度になりました。やはり症状の出始めから薬を飲めたのは大きかったようです。

一方で禊はというと、頭痛と熱が残ってしまってなかなか起きることができず昼まで寝ていました。起きても動きが若干鈍い感じです。

昨日の夜ごはんの残りを食べ、気を紛らわすためにポケモンのゲームをして、きつくなったら休んで、またゲームして。

今日の生活だけを切り抜いた動画を作ったら完全にニートゲーマーのそれです。昼過ぎに起きて、夜ごはんの残りで昼ご飯を済ませて、布団の中で永遠とゲーム、飽きたら寝る。

完全にやべぇヤツ。だけど療養中ってすることあんまりないんですよね。

禊とも話してたんですが、学生の頃に学校を病欠すると何時になっても「遊ばんと寝てなさい!」って言われませんでしたか?

朝方なら有無を言わさず「学校休んだっちゃけん寝てなさい!」だし、昼ご飯食べたら「食べたら布団に入る!」って言われるし、夕方になったら「もうすぐ夜ご飯なんやけん寝てなさい!」だし。

寝てしかない。そんなに寝れない。もう眠くないのに睡眠パワーは絶対だと信じて疑わない母ちゃんには抵抗ができない。

そして泣く泣く布団に戻り、眠くもないのに横になり天井というなの虚空を眺めて過ごすんです。イマドキの子たちはもしかしたら一人一部屋あるのかもだし、優しい(というか甘い)お母さんも増えてるだろうから、布団の中でゲームしようがスマホ見ていようがなんにも言わないのかもですが、僕ら世代はとかく眠りに就かせようとしてくるお母さんは多かったと思います。

ポケモンのゲームに「ケンコーばあさん」ってのがいるんです。

ルビィ&サファイア時代に初出で、その後リメイク作などにもちょいちょい出てくるばあさん。111番道路の奥まったところにある家に住んでいて、話しかけると「あらあらあんた、疲れてるんじゃないかい」と聞いてくれてポケモンを全快復させてくれるいいばあさんです。

ただし回復が終わっても「まだ疲れてるんじゃないかい?もう一度休んでおいきなさいな」と言ってきます。これ、断らない限り無限に続くんですよ。2回目以降は休んだって何にも変わらんのに。

もしかして、このばあさんのモチーフになったのは各家庭の「お母さん」なんじゃないかと思いました。ゲームフリークのキャラデザした人のお母さんもこんな風だったのかもなぁ…。

そしてもうひと晩寝て過ごして、このブログを書いている今に至ります。

ひやむぎはまだ熱も測っていませんが体感で大体わかります。もう大丈夫です。微妙に残っている咳はタミフルとメジコン(咳止め)がなんとかやっつけてくれることでしょう。

禊はまだ寝ていますが、さっきそっと聞いてみたらまだ体がきついのと頭痛はある様子。発症から1日空いての薬服用だったので効き目がそこまでないのかも。焦らずしっかり休んでもらおうと思います。

とりあえず僕が先に元気になったので家のことは万事引き受けるとして、こういう時にここぞとばかりに甘えん坊になる禊の要求をこなしつつ、早くいつも通りの生活に戻れるよう頑張ります。

ご近所だからとわざわざ2回も救援物資を届けていただいたタクドラの先輩ひかりさん、スタミナ餃子とお菓子の差し入れありがとうございました。とても心強いです!

今度 #食処禊 でお返しさせてください(`・ω・´)ゞ

そしてたくさんの心配や応援のメッセージをいただいたフォロワーの皆様、おかげさまでもう少しで治りそうです。リプをいただける度、早く元気になろうって気持ちになります。ありがとうございます!

これを書いているただいまの時刻は11:40、そろそろ禊を起こそうと思いますので今日はこの辺で!

療養中に暇だったらもう1,2記事書こうと思っていますので良ければお付き合いくださいませ。

それでは皆様、僕らみたいなインフルにはかからないよう手洗い・うがいを徹底的に。身体は冷やさず栄養満点の食生活をお送りください!

ではでは~(`・ω・´)ゞ

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