「19:30までに着けますか…?」
僕のタクシーに乗ってきたのは20代前半の女性。天神新天町前のバス停から乗ってきて、小笹まで。天気は雨。通る道の目処をつけたものの、生憎どこを通っても混みそうな気がしてならない。
「小笹のマルキョウの辺りで…。」
尚更渋滞する未来しか見えない。こうなった時、相手の出方次第でもあるが塩っペはこう答える。
「とりあえずやってみましょう!」
できるだけ元気よく言うのがコツです。ここでちょっとでも不安げな素振りを見せてしまうと、お客さんはイラつき始めます。
もちろん「ねぇ、中洲まで5分で」みたいなイキったやつにはこんなこと言いません。あくまでも、お客さんが相談・お願いといった形で聞いてきたときに限ります。
だってイキったやつは「それくらいして当たり前」って思ってるのがほとんどだから、奇跡的に早く着けたとしても感謝どころか「俺やっぱ運いいわ」とか吐かしやがります。
誰のおかげで間に合ったかなんて気にしないのです。というか本当に急ぐ必要があるのかすらも疑わしいのです。だからそういう輩に対しては伝家の宝刀「急いでるフリ運転」でやり過ごします。そしてさっさと降ろして次のお客さん探してとっととイライラを忘れるんです。
乗車後、まずは赤坂門交差点を左折して大正通りへ。ここから浄水通りを経由するか、はなみずき通りを通って桜坂を経由するかは人によるらしい。以前乗せたお客さんが言っていた。ほんまか?と思った。ちなみにひやむぎは後者。
1台でもバスがいると大幅に時間をロスする可能性が高い。バスの本数そこそこ多いし、道幅狭いし。あと信号もなんだか多い上に意地悪な気がする。
警固町の交差点を右折してバスと路駐が多い国体道路を走るか、その先のファミマから右折して歩行者と自転車が多い警固本通りを進むかも人によるらしい。ちなみにひやむぎはどっちも通る。今日は国体道路を走った。そしてはなみずき通りに入った。
なんだろう、このそこはかとない違和感は。
そうだ。想定に反して道がスカスカなのだ。
赤坂門にいつもいて左折をせき止めてしまうバスが1台もいなかった。
警固町の交差点で夕方になると起きる右折渋滞が起きていなかった。
はなみずき通りへの左折も驚くほどスムーズだった。
僕の見立てではここまでで10分はかかるはずだった。だけどいつも通りの安全運転で、特段アクセルを強く踏んだりもしていないのに所要時間5分。いつもこうであってくれと心から願う。そうすれば仕事上のストレスだってなくなるのに。
「お客さん、今日もしかしてめちゃくちゃラッキーデーなんじゃありません?」
桜坂駅前の交差点もすんなりクリアできそうで余裕が出てきたので、お客さんにそう話しかけてみた。
「ラッキーかはわかんないけど…今日、誕生日です!」
「そりゃツイてるはずだわ〜!だってね、こんな雨降りの夕方って結構混むこと多いんですよ。それが今日はこんなにスイスイ。そうですか〜、お誕生日でしたか。納得ですね、おめでとうございます!」
誕生日だから自分磨きにエステやらネイルやら行ってきたらしい。自分へのご褒美デー。自分へのご褒美のはずなのに、交通の神すらも味方につけたというのか。恐ろしい人だと思った。こんなに道が空くなら毎日乗っていてほしい。
僕は昔からそこそこに運が良い。今のところ五体満足に生きているし、特にこれと言った不幸に見舞われたこともあまりなかったと思う。
3か月前に事故で愛車を失ったのは人生史上最大の不幸だと思ったけど、僕も妻も生死を彷徨うような怪我は追わずに済んだ。
目立つタイプではなかったし友達も少なかったけど、一人でも楽しめるタイプだったからそこまで苦にはならなかった。高校でのめり込める教科と先生に出会えたから、大学の4年間だって本当に学びたいことに打ち込むことができた。
新卒で入った会社はブラックホールの黒さを煮染めたようなブラック体質の自動車ディーラーで3年も経たずに転職した。大手だから辞めるのはもったいないと思うこともあったけど、あのまましがみついていたらきっと鬱にでもなっていたに違いない。
逃げるように転職して入った二社目では望みもしない経理系の仕事を仰せつかったが、そのおかげで少しだけお金の話に強くなった気がする。経営ができるほどではないにしても、ゼロが6こも7こもつくような数字を見ても驚かないようになったのはあの経験があったからだろう。
そしてタクシー運転手。自動車関連から始まって、全く無関係な会社を経由して、また自動車に戻ってこれた。1社目で大型免許を取ってたおかげで周囲に大型車両がいる時の間合いが取れたり何かと役には立ったし、一時期ハイエースの担当乗務員として活躍できた。(1年と経たずに廃車になったけど)
あとうっかり右折禁止を見落として曲がっちゃった時にもパトカーはいなかった。
人生を変える出来事が重なって今では億万長者だぜウェイ!みたいな運の良さはないけど、だからといって不幸だとも思わない。平々凡々に呑気に暮らしていけるだけの運は持ち合わせていると思う。
「わぁ!すごい!間に合った!」
無事目的地に到着して、お客さんが感嘆の声を漏らす。タクシー運転手をしていて大好きな瞬間の一つ、それがお客さんの安堵の声を聞くことだ。
「ありがとうございました!また乗せてくださいね!」
僕が挨拶する前に言ってもらえた。また乗せてだって。よほどの偶然かルーティンでも無い限り、タクシーの運転手とお客は一度きりの間柄。再会した経験なんて数えるほど。それでもまた乗りたいと思ってもらえたのは素直に嬉しい。
願わくばこの運の良さでこんなお客さんとたくさん出会いたい。今のところネタにできるようなクソ客は数える程度で、その何百倍の数のいいお客さんが乗ってくれる。
よくTwitterなんかで「最初は優しかったけど、クソ客の相手していくうちに段々態度が悪くなっていって」という話を見かける。
そんなことを言われないように、今のスタイルを貫けますように。
そして「また乗せてね」と言ってもらえる運転手であり続けますように。
お客さんを見届けてまた走り出す。
手が挙がってドアを開ける。
「あと15分でここまで…」
タイムアタックは、たまにやるからいいんだと思った。
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