花粉症と戦う同志の皆様へ

日記

今年もこの季節だ。

寒い寒い冬が過ぎ、鳥がさえずり、草木が芽吹き、暖かくなりお出かけ日和。春だ。

卒業、進級、進学や就職など今までの日常がガラッと変わる人も多いだろう。ひやむぎにはそんなものは一切無いので、タクシーに乗ってくるお客さんの様子や街の人々を見て季節を感じている。

3月になり気温が上がるに連れて、街にはちょっとした変化があると気づく。「コロナ禍」という言葉が大昔の出来事に感じられるほどなのにやたらとマスクをした人が多い。

例えば、若者が闊歩する天神西通り。今の時期は卒業して次のステップまでのモラトリアムを過ごす子たちが多い。

どこで売っているのかは未だにわからないおしゃれな服を身に纏い、時間帯関係なくサングラスをかけ、アニメでしか見ないような髪色をした子たち。これを綺麗に染め上げる美容師さんたちってすごいなぁ、あと僕は髪が信じられない速さで伸びるから染めてもすぐにプリンになるんだろうな、などと考える。

そんなウェイウェイした集団でも3分の1がマスクをしている。

  

ところを変えてオフィス街。百道浜には多くの企業のオフィスがあり、通勤の時間ともなると1回の青信号で何十という人が各々の社屋へいそいそと歩いていく。

そんな中にもやはりマスクが多い。

 

ひやむぎが乗務するタクシーに乗り込んでくるお客さんにもマスクをした人が増えた。

 

原因は言うまでもなくヤツだろう。

某ハンバーガー屋のナゲットのような形をした九州をべっとりと包み込むオレンジや黄色の帯。憎きスギ花粉だ。

かく言うひやむぎも立派な花粉症罹患者。毎年この時期になると、国土の至る所に杉の木を植樹したやつにどうにか痛い目に遭ってほしいと呪詛の念を送る。

症状が出る以前、春という季節は好きだった。「春はあけぼの」と言うように日が昇る時間はは好きだった。お花見に誰かと出かけて飲む缶ビールは最高だったし、新しい出会いに心を踊らせる時期でもあった。

今はどうか。ひたすら憂鬱でしかない。だって目は痒いし鼻の奥は変な甘みのある鼻水が流れてる。

清少納言だってちょっと鼻声になって「春はあげぼど」と若干噛むだろうし、そもそも春を好きにならないだろうから枕草子のストーリーさえ危ない。

春はスギ花粉
やうやう赤くなりゆく眼球
少し鼻声
苛立ち隠せぬ
早朝のアルガード(点眼薬)

きっと古文の指導要領には入れてもらえんでしょうね。先生たちだってこんな作品紹介しても「花粉症は平安時代からあったんですね」くらいのコメントしかできないでしょうし。

今日になって何回目薬使ったかもわからないし、これからあと何回使うかもわからない。唯一わかるのは、去年よりも使用量が増えているということ。

このペースで悪化していくなら、僕が爺さんになる頃には点眼では追いつけなくなるのではないか。目薬で満たされた風呂桶のなかでホルマリン漬けのミイラよろしくアルガード漬けにでもなるしかないのではと怖くなる。

このままでは、花粉症で人が死ぬ。

そんな死因では誰も成仏できぬ。

葬式に参列してくれた誰もが「え、ひやむぎって花粉症で死んだの?」と首を傾げるだろうし、喪主の挨拶もなんだか締まらない。お坊さんだって読経の中に「花粉症」なんてワードが出てきたらたまったもんじゃないと思う。

そしてそうは言えども参列者の半数は花粉症だろうから「次は自分が…」と心の片隅で心配するんじゃなかろか。

いやだなぁ、そんな最期。地縛霊にでもなっちまいそうだよ。

 

幸いまだくしゃみは出ないからマシなんだろうけど、ひどい人は目から鼻からいろんな液体(というか汁)が出続けて、「生ぎたい!!」と叫んだニコ・ロビンのような有り様だと聞く。(ロビンさん、変なとこで例に出してごめん)

 

フォロワーの皆様、またこのブログに何かのはずみでたどり着いちゃったそこのあなた。

目にも見えない微細な花粉。気をつけようとしてどうにかなるもんではありませんが、周りにそんな人がいても「なんだあいつ、泣いてんのか」なんて引かずに「あぁ、花粉症なんだな。大変なんだな」と思ってください。できればティッシュください。

 

いつにもまして駄文の塊になりました。投稿するのも憚られるし我ながら自分の阿呆さに呆れ果てる次第ですが花粉症に苦しむすべての方へ。

僕も頑張るので、ともに戦い抜きましょう。

健闘を祈ります。

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