低浮上、ご心配をおかけしました。

日記

何かの悪い夢であってほしかった。

夢なら覚めてくれ、何度もそう思った。

だけどいくら目をこすれど、頬をつねろうと目の前の景色は変わらなかった。

愛車デミオには大きな凹み。

うきは市鷹取、片側1車線の道路。

わき道から左右確認もせずに出てきた車が、運転席に突っ込んだ。

この日、ひやむぎと禊を乗せたデミオは交通事故に遭った。

昼下がり、吉井町にて

新卒で入社した会社で出会い、お世話になっている生命保険の担当さん。親身に僕の話を聞いてくれる、年の離れたお姉さんのような人だ。その日はその人に会って保険の相談と見積もりをもらいに久留米まで行っていた。

「いつものお店で馬刺し買って帰ろうか」

久留米方面に行くとかなりの高確率で立ち寄るお店がある。田舎にある個人商店で、酒屋なのか八百屋なのか肉屋なのか、それらをごった煮にしたようなお店。

ここの馬刺しがおいしくていつも買って帰るのだ。西鉄久留米駅を後にし、浮羽方面へ。10tトラックなどが多く走る国道210号線とは違い、並行して走る「浮羽草野久留米線」という道路は信号が少なく交通量も少ない。

どこかのんびりとした田舎の道を、これまたのんびりとした僕らを乗せたデミオが走っていた。

「そろそろ国道の方に移ろうかな」

そう思い左折。国道に繋がる道路(車線あり)に入った。

秋が深まる昼下がり。柿農園が広がる辺りはこれまたのんびりとしており、たまに来るとほっとするなぁと思っていた。禊と他愛のない話をしながら田舎風景を楽しんでいた。

一瞬の出来事だった。

民家の陰。鬱蒼と生い茂る生垣にカーブミラーは遮られ、もはや存在に気づくことすらできない路地から、赤色の乗用車が飛び出してきた。

自車が交差点に侵入する、本当に「直前」の出来事。ブレーキペダルを踏むより先に、僕が座る運転席のドアにそいつが突っ込んだ。

帰宅してドラレコを確認したが、その間わずか1秒の出来事だった。

衝突の刹那、体を駆け巡る衝撃に耐えつつ咄嗟にハンドルを右に切った。そのままにしていては壁にぶつかる。そうすれば禊も危ない。

MT車だったのも幸いしてすぐに車は停止した。クラッチを踏まずにブレーキをかけたのでエンストしたのだった。

ハザードランプを点け再度エンジン始動、車体を道路左側に寄せて止めた。

相手車両は交差点を直進したところで止まっており、ほどなくしてデミオの後ろに移動し同様に停車していた。

「ひとまず警察に連絡を、免許証と自動車保険の証券を用意してください。」相手の女性にそう伝える。

車の脇には顔をしかめた禊がいる。「体痛いところはない?腕が曲がらんのね、救急車も呼ぶけんね」

自分でも驚くほど冷静で、的確な対応ができていたと思う。

時折通りかかる他の車両に配慮しつつ、誘導が必要であれば拙い手信号で合図した。元から少ない交通量だったのもあるが、そのおかげか二次的被害は起きずに済んだ。

双方の写真や連絡先の交換をしているとミニパトがやって来て、その後に救急車もやってきた。禊は近くの病院に救急搬送された。

事故の状況

ミニパトから2人の警察官が降りてきて事情聴取と実況見分が始まった。先に聞かれたのは通報者である僕。

 

「何キロくらいで走ってた?」「どこらへんで相手の車に気づいた?」「クラクション鳴らした?」など、警察官の問いに対して的確に答えるひやむぎ。

事故の起きた交差点は、僕らが走る片側一車線の道路(以後「優先道路」という)に車1台ほどの道幅の路地(以後「交差道路」という)が交差している。

優先道路には50㎞/hの速度制限があり、ちょうど4速にシフトアップしたあたりだったため出ていたとしても40㎞/hほどだった。

交差道路から出てくる車両には道交法第36条の徐行義務が課されているものの、ドラレコを見る限りその気配はない。タイヤの転がり方がしっかりアクセルを踏んでいるときのそれだった。明日再度現場の確認で訪れるつもりだが、交差点手前にあるポールから道路中央線までを1秒間で走り抜いたことになる。

秒速5m≒時速18㎞。

何を考えて走ればこんな見通しの悪い交差点でそんな速度を出せるのか。

そもそも何も考えていなかったんだろうと思う。

こんな細い道、通りなれていなければ自ら進んでは入らない。

だとすれば日常的に通る抜け道だったのかもしれない。

いつも車なんて来ないから、そんな意識だったんだろうと思う。

そんな安全意識の欠如が、僕のかけがえのない相棒をこんな姿にした。

大変なのは警察官が帰ってから

実況見分も終わり、相手方は自走可能な損傷しかなかった。残すはデミオの移動なのだが、運転席がめちゃめちゃに凹んだ車が自走なんてできるわけなく、当然保険会社が手配するレッカーを待つことになる。

「その場所ですと到着までに1時間ほどかかりまして…あの…なにぶん日田から向かうものですから…」

いかにも田舎を支えるレッカー屋といった感じの、聞いたこともない町工場のような車屋さんから電話がかかってきてこう言われた。

なんでもっと近くに提携工場持ってないんだよ、JAFさん、保険会社さん。ひとまず病院に行くから現場を離れること、鍵は車内に入れていること、大体の場所を伝えた。

警察官も引き上げ、相手方もいない事故現場。

 

空がとても青かった。

辺りには風の音だけが響いていた。

時々通りかかる車の運転手に怪訝な顔で見られた。

  

デミオと走った70,000kmを思い返した。

新卒で就職した会社まで35km走って通勤したこと。

小林青葉くんとバスMVの素材を撮りに行ったこと。

禊をネトストから守るために兵庫まで夜通し500㎞を走ったこと。

汚れるたびに洗車場に行って他のどんな車よりきれいにしたこと。

禊と暮らすようになってからは二人で洗車場に行くようになったこと。

洗車をするたび車好きの友達にピカピカになったデミオの写真を送ったこと。

車検の前の日になってバッテリーが上がり、自転車でスターターを買いに行ったこと。

エンジンがダメになるまで代替はしないとマツダの営業さんに言い張り商談を断ったこと。

 

まだまだ一緒に走りたかった。行きたい場所がたくさんあった。

 

気が付けば泣いていた。涙が止まらなかった。事故にさえ遭わなければ一緒に家に帰れた。なのに傷だらけになった相棒を、どことも知れない田舎道に置いていかなくてはならない。そしてもう、同じ家には帰れないのかもしれない。

ずっとそこにいたかったが、禊が搬送されたから病院に向かわなくてはならない。僕も僕で実況見分の間に少しずつ腰の痛みが出てきている。ぶつかられたのは運転席側だったから、僕も何かしら怪我をした可能性が高い。

禊が搬送された病院を調べたら、近くは近くだが徒歩50分かかるらしい。腰が痛いのにそんなことをすれば50分どころの話じゃ済まないし、悪化は免れない。

藁にも縋る思いで近隣のタクシー会社に電話を掛けた。

配車はすんなり受け付けてくれた。田舎ではアプリ配車よりもまだまだ電話配車なんだろう。

「なんか目印んごたっとはあっですか~?」

懐かしき久留米の言葉で目印を聞かれたが、そんなものはない。あるのは柿農園と田んぼと事故ったデミオくらいである。

警察や消防じゃないから、電柱の番号なんて伝えてもわからないだろう。途方に暮れかかったその時、一つの石碑が目に入った。

「鷹取湧水って書かれたちっこい石碑があります…」

そんなのじゃわかりませんよね、と言おうとしたら電話の向こうで「あ!湧水んとこね!うんうんわかる!公園みたいのが近くにないですか!」と聞かれた。辺りを見回すと確かにそれっぽい公園があった。

「すぐ向かわせますね!行先はどちらで?」

事情を伝え搬送先の病院を伝えたら「そりゃきつかですね、すぐ来ますけんもうちょっとだけ辛抱されてください!」と言ってもらえた。

10分後、無事にタクシーが到着し、病院でやっと禊に会えた。

事故後の二人はというと…

これが10月15日 15時ごろからの出来事でした。この後病院で一応診断書をもらったものの、整形外科の先生が不在でレントゲン以外は対応ができなかったため翌日改めて自宅近くの病院で整形外科を受診しました。

僕は腰椎捻挫、禊は頸椎捻挫と右肘の打撲。両方とも加療7日の怪我となり、ただいま療養中です。なんで衝突をもろに食らった僕のほうが軽傷で済んだのか、どういうぶつけ方をしたら助手席に居た禊が右肘を痛めるのか、不可解な点が多い結果です。

ひとまず二人とも生きててよかった。そう思うしかないでしょうね。

病院を出たらすぐに新幹線やらなんやらを乗り継いでうきは警察署に向かいました。事故の調書作成がそこでしかできないらしく。長旅でした。

警察署の帰りに相手方保険会社から医療費の件で電話を受けたんですが、あまりに神経を逆なでするデリカシーのない言動が続き、電話口でブチ切れたのはここだけの話。普段ののほほんとしたひやむぎが数年に一度だけ見せる姿だったことと思います。ちなみに禊も同じくらいキレてました。

あそこまで声を荒らげたのはいつぶりだったか。

障害を持った妹と懸命に育て上げた母を、離婚した父方の祖父母が罵った時以来だったんじゃなかろうか。

 

これから少なくとも1か月はおとなしく療養することになりそうです。特に禊は利き手の自由が効かないため、僕の介助が必要になります。お風呂も料理も着替えも何もかも。

加療7日と調書や診断書には書かれたものの、確実に治るもんじゃないのです。

 

そして並行して過失割合の決定を弁護士さんに行ってもらい、損害賠償等の話になっていくそうです。おそらく年内には片付かないことと思います。

あ、そうそう。だいぶ長くなってきたので詳細は次回以降に回しますが、自動車保険に「弁護士費用特約」が付いているかで相手方からの賠償額に大きく差が出るみたいです。

一度確認してみて損はないと思います。いつこんな事故に遭うかわかりませんし。

 

僕らの怪我の具合なんかはそんなところなんですが、事故後3日目(この記事を書く前々日)くらいまではメンタルの上下がものすごく激しくて大変でした。ふとした拍子にデミオを失うかも(ディーラーの話では修理困難)という恐怖とも喪失感とも言える感情が押し寄せてきて泣きそうになり、ずっと沈んだ状態でした。

しばらく低浮上にすると決めたのはそのためです。こんなメンタルで活動なんてできないと思ったし、勢いでツイートしちゃってそれを見たフォロワーさんに嫌な思いなんかしてほしくなかった。

共感性や感受性が高い人って、ネガティブなツイートを見ただけで心にもやもやしたものが溜まっていくと思うんです。こう、ヘドロというか堆積物というか。先日読んだ星野源さんの著書「いのちの車窓から2」でこんなことが語られていた。

私には元々、画面から映像が流れているのを見ると、興味の有無にかかわらず現実が遮断されてその映像を見つめ続けてしまう癖がある。たとえその時誰かから話しかけられたとしても、一切聞こえなくなる。

(中略)そうすると、私は被害者となってその世界とリンクしてしまう。

被害者が殺されると悟った時の感覚はどんなものだったか、どれだけ逃げたのか、助けは求めたのか、どれくらい痛かったのか、涙は流れたのか、最後の瞬間はどんなことを思ったか、叫んだのか、どの辺りまで抵抗し、どこから抵抗を諦め、どんなふうに絶望したのか、その怒りや無念じゃどれほどだったか。

詳細まで想像し、脳内で仮想現実を作り上げ、被害者の目線で追体験する。そして十数秒後、冷や汗をかきながら我に返る。息が切れている。肺に空気が入っていることを実感する。身体中に憤りが満ちていて、とても熱い。

星野源「いのちの車窓から2」p.204

源さんが語ったのは殺人事件の例えだったから、今回の僕らの事故とは全然違うんですが。

だけど落ち込んだ僕のツイートを見た人が、源さんがするような「追体験」をしてしまったら嫌だなと。せっかくの日常に僕の勢い任せのツイートで水を差すのは申し訳ない。僕の周りには優しい人が多いから。

あとそういう時に優しさでかけられる言葉がすごく苦手でして。だから少し時間を置こうと決めたんです。

このブログを書いている最中もちょっと泣きそうになったから、完全復活ではないんだと思います。だけどちょっとずつ日常を取り戻して、元気にもなってきて、相手方保険会社と真っ向から戦う態勢を整えています。

禊とも相変わらずラブラブだし、仕事は休職しているので暇で仕方なくて最強の暇つぶし「桃太郎電鉄2017を100年設定で」という奇行に走りました。今のところ禊社長優勢です。

ふとした時に僕が落ち込みそうになったら、禊がうまいこと気を逸らすようにそんなことを誘ってくれるからなんとか頑張れそうです。2人でいられて本当によかった。僕1人だったらまだこんなに元気になれてないよ、きっと。禊、ありがとね。

長くなりましたが、来年まで持ち越すような話になりますので進捗があって僕が書く気になればまたブログにしようと思います。

フォロワーの皆様におかれましては安全運転はもちろんのこと、弁護士費用特約をはじめとする契約の確認でもしもの事故に対する備えを万全なものとし、来る年の瀬もどうか事故無く過ごされ、穏やかな新年が迎えられますようお祈り申し上げます。

その後で僕らの応援をしていただけるととても嬉しいです。あと変に気は遣わず、いつも通り接してください。僕らもいつも通り阿呆やりますんで。(・▷・)パア

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。どうか、くれぐれも皆様一人残らず、これからもご安全に。

以上、ひやむぎでした!

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